沼のほとりから

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FINAL FANTASY X 感想(葛藤と死)

この記事について

noteに書いていたものを移行した記事です。
元記事はいつか削除します。
元記事: https://note.com/mkichi/n/n4c2034074bde
投稿日時: 2020/09/10 22:56
以下から本文が始まります。

はじめに

FINAL FANTASY X Remaster をクリアしました。
めちゃくちゃよかったのですが、このやるせない気持ちをどうしたらいいんだ…
途中からネタバレを含みますので、ご注意ください。

大まかなあらすじ

主人公ティーダは大都市ザナルカンドでブリッツボールの選手として活躍しています。
ある試合の日、巨大な何か(=シン)がザナルカンドを襲い、ティーダはスピラという全く知らない場所、しかも1000年後の未来に飛ばされてしまいます。
スピラでも「シン」は猛威を振るい、人々の安寧を脅かしています。
ティーダ「シン」を倒すことを目指す召喚士ユウナたちと出会い、「シン」打倒の手段があり、かつ自分の故郷でもあるザナルカンドへ向かう旅に加わることになりました。

予感

オープニングから「このゲーム…かなりつらいゲームなのでは…」という予感がしました。
廃墟のようなところで皆集まってるけど葬式みたいな雰囲気。
ティーダの「最後かもしれないだろ?」という台詞。
物悲しげな音楽。
この時点でがっちり心を掴まれました。
本編に入ると、時折ティーダのモノローグが入ります。
その語りが回想形式で、これもまたつらくなりそうな予感を煽ってきます。
更に、ティーダが全ての元凶である「シン」を倒した後のことを口にすると、重たい沈黙が流れます。
嫌な予感を抱えたまま、旅を続けました。
この先ネタバレを含みますので、ご注意ください。

葛藤

このゲームは本当に葛藤がやばいです。
前述のように平和をもたらすために「シン」を倒さないといけないのですが、「シン」を倒す「究極召喚」を発動すると、ユウナが命を落とします。
しかもシンは(ティーダから見て)10年前に死んだと思われていた主人公の父親、ジェクト。
その上「シン」は倒しても数年後に復活し、再びスピラを脅かします。
そしてまた別の召喚士が犠牲となり「シン」を倒す…というループが繰り返されます。
この事実をティーダ以外のパーティーメンバーは知っており、それを知りながらも旅を続けます。
私はこの事実だけで結構お腹いっぱいです…まさかこのまま究極召喚でユウナが死に、短いナギ節をもたらして終わりとかじゃないよね…?人間は無力ENDじゃないよね…?とかなり不安に思いながら進めていました。
ザナルカンドに到着した一行は「シン」を最初に倒したと伝えられている勇士、ユウナレスカと出会います。
彼女は「究極召喚」を授けてくれるそうですが、それを得るにはユウナだけでなくもう一人犠牲が必要だということを聞かされます。
さらにユウナレスカは「究極召喚」で「シン」を倒しても必ず復活する、人間の罪が消えれば「シン」も消えるとエボンでは教えているが、人間の罪が消えることなどあるだろうか?とエボンの教えを否定するようなことを口にします。
エボンの教えは希望で、その希望があったから悲しい定めも受け入れられる、と続けます。
「まやかしの希望なんていらない」とユウナは反論し、ユウナレスカと戦うことになります。
アーロンはここまで知った上で旅に加わってきたようです。ここまで来ないと何も変えられないと思ったのでしょう。ティーダたちに言います。

さあ 今こそ決断の時だ
死んで楽になるか 生きて悲しみと戦うか
自分の思うままに物語を動かす時だ

ユウナレスカを倒し、究極召喚は失われました。
その後、誰も死なず、「シン」も復活しない方法がある可能性を見出します。
皆はユウナの手前口にするのが憚られた「シン」を倒した後のことについて話し始めます。
しかし、ティーダ「シン」を倒すと消える可能性が出てきました。
「シン」は在りし日のザナルカンドを召喚しており、ティーダもそこに含まれている、つまり 「シン」が消えるとティーダも消える、というわけです…
今度は自分が消えてしまう可能性が出てくるとは…なんてことだ…
ユウナが「君のザナルカンドはきっとどこかにあるよ」と何度か言ってくれましたが、どこにもないんですよね…
ユウナ以外の仲間はそれについて知らず、「シン」を倒すぞ〜となっているのがまたやりきれない…
ルールーに至っては、

あんた……
「シン」を倒してもユウナのそばにいてあげてね

と言葉をかけてきます。
プレイヤーである私は情緒がめちゃくちゃになりましたが、ティーダは特に返事することもなく、自分が消える可能性についても伝えませんでした。
ティーダはギリギリまで自分が消えることを隠し、最後の戦いのあとに去っていきました…

通奏低音としての「死」

FFXの世界では、常に死がつきまとってきます。
召喚士の役割はスピラに死と破壊をもたらす「シン」を倒すことですが、亡くなった人をあの世(異界)に送るという役目もあります。
スピラでは亡くなった人は異界へ送られることになっているのですが、グアドサラムからその異界へ行くこともできます。
エボンを信仰している人は亡くなった人は異界へ行って、残された人が異界へいくと話すこともできると思っているのですが、違う民族であるアルベド族は「それは幻光虫が見せる幻だ」と思っているそうです。
また、エボンを信仰している人は「シン」を倒すのに召喚士が犠牲になるのはしょうがないと思っている節がありそうですが、アルベド族は「それはおかしい、変わるべきだ」という考えを持っているようです。
この辺りの考え方の違いだったり、死生観の描かれ方がすごいな〜と思いました。
「死」は物語中に散りばめられていて、ティーダの父親、ユウナの父親はすでに亡くなっていますし、仲間のアーロンは死人(しびと)です。
果てはエボンの最高指導者も死人でした。
どうやらシーモア、ユウナレスカ含むエボン側の人間は、死を甘い希望として捉えているようでした。
彼らは死によって悲しみから解放される、死は救いであるということをティーダたちに説いてきました。
悲しみそのものを解消するのではなくある意味で逃げるのがエボンでした。
ここまで「死」がべったりまとわりついてくるゲームは他にあったでしょうか…
RPGは登場人物の死が描かれることはありますが、死そのもの、死生観、死んだあとのことについて描かれることはあまりないような気がします。
私はFFXの他にここまで「死」を描く作品を知りません…

まとめ

ストーリー全体の葛藤と「死」について主に書きました。
葛藤についてはパーティメンバーそれぞれも抱えており、それもまた人物像に深みを与えています。
パーティメンバーだけでなく、旅先で出会う人々や、かつて生きていた人々もも抱えているものがあることが伺えます。
ストーリーの深さがものすごく、クリア後はドッと疲れてしまいました…
それでもなお、もう一度遊びたい、できれば記憶を消して…と思うほどに好きな作品になりました。
FFX-2もあるのですが、しばらくは「ザナルカンドにて」を聴きながら余韻に浸ろうと思います。